すぐに母親を背負って、近所の病院に向かった。
診察の結果、医師は、「両足の不自由は、原因がよく分かりません」と言う。
奇病なのか。ショックは大きかった。
しかも母親は、「もし私が倒れたら困るでしょう。いつまでも娘の世話ができるように健康体で、元気のままに老後を迎えたい」と言うのが口癖で、毎日のように自宅周辺を積極的に散歩し健康維持にはことのほか気を使っていた。
安倍さんは母親を連れて、いくつかの病院を訪ねて診察や治療を重ねた。しかし、病気の原因はついぞ分からなかった。原因が不明なら、治療の施しようがない。
「もう頭はパニック状態です。“どうして私が”“どうして母がこんなことに”と、ベッドに横たわる母を見つめながら、これから仕事を続けるには、どうしたらいいのと途方にくれました」
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