大学卒業の頃、私たち同級生の多くは大学医局制度反対とか、そんなことで騒いでいたのですが、彼の進路はまったく違っていました。卒業してすぐに米軍病院で研修を受け、アメリカに渡り、そのまま某病院で内科レジデント、そして某大学病院でアシスタントレジデント、チーフレジデント、内分泌フェローシップの後、内科スタッフとなり、さらに、UCLA(カリフォルニア大学ロサンゼルス校)助教授、准教授、そして1993年には教授となりました。日本人の彼が、米国の病院でアメリカ人に負けじと頑張り、その成果が実った結果であると思いました。
■研修医の育成を協力して模索
私は彼と連絡を取り合って、日本の研修医がアメリカの医療に触れる機会を模索しました。そして東京都庁の協力を得て、数年間ではあったもののUCLAへわれわれの病院から数人の研修医を送り、そしてUCLAからはいろいろな分野の専門医師が日本に講演に来られました。S君から紹介され、初めて日本を訪れる米国医師を迎えるため、研修医が成田空港に迎えに出向いたり(多くは土日に着きました)、一度はわが家に2人の医師に泊まってもらったこともありました。
がんと向き合い生きていく