独白 愉快な“病人”たち

虚弱体質から日本代表へ 大山加奈さん喘息との付き合い方

「心が体を引っ張っていく」と語った(C)日刊ゲンダイ

 その後もずっとバレーを続けましたが、不思議なもので、バレーを始めてから、発作は季節の変わり目にちょこちょこ軽く出る程度でした。それが、高校3年生でバレー部を引退して大きな発作に見舞われたんです。それまでは、バレーのことで気が張っていたのだと思います。ホッとした瞬間に発作が出て、「病は気から」は真実だなあと感じました。

■メンバーにも監督にも伝えなかった理由

 高校2年生から日本代表の合宿に参加するようになり、その際のメディカルチェックで肺活量が比較にならないほど低いことが分かりました。医師から「毎日吸入しなさい」と言われ、それから朝晩、吸引を続けるようになりました。

 とはいえ、喘息持ちであることは監督にもメンバーにも伝えませんでした。監督はご存じだったかもしれませんが、スペシャリストの集まりである代表の中では、チームメートでありながらも皆がライバル。たった12人しか正選手に選ばれないのですから、あえて自分の体調を公言する必要はないと思っていました。それに、自分のパフォーマンスが悪い言い訳に喘息を使いたくはなかったのです。

3 / 5 ページ

関連記事