でも、あるとき妻から「最後にもう一度だけ挑戦させてもらえませんか」と相談がありました。「今度は、男性不妊の第一人者のいる病院で」と、先生を探して北九州まで行きました。
これでダメなら諦めがつくということで旅行がてらの不妊治療でした。ダメでもともと、そんなリラックスムードもよかったのか、ありがたいことに子供を授かることができました。先生に「おめでとうございます」と言われたときは、一気に別次元に連れていかれたようなうれしさでした。
ただ、それからも困難は続きました。妻は妊娠中毒症になって入院し、臨月になってからは妻の命が危ないということで、帝王切開での出産になりました。しかも、子供は今はとても活発な女の子ですけど、生まれた当時は心臓に問題がありました。「自然に治るかどうか2歳になるまでわからない」と言われ、ずいぶん心配しました。
独白 愉快な“病人”たち