数字が語る医療の真実

その後の「かっけ」減少までの長い道のり

 長々とかっけについて書いてきましたが、そろそろ終わりが近いようです。

 都築甚之助がアンチベリベリンと呼び、鈴木梅太郎がオリザニンと名付け、フンクがビタミンと呼んだ抗かっけ物質は、1926年、オランダのヤンセンとドナースが単一物質として結晶分離に成功します。

 今更ですが、この物質はビタミンB1と呼ばれるものです。かっけはビタミンB1欠乏症で、その補充により容易に治癒することが今では明確になっています。しかし明確になるまでの道のりは、書いてきたようにあまりに長いものでした。

「脚気病院」が設立された1878年には、陸軍では1000人当たり376人、海軍でも323人のかっけ患者が発生しています。そこへ陸軍では一時的ではありますが堀内利国が麦飯により大阪の小部隊のかっけをなくし、海軍では高木兼寛が登場し、洋食、麦飯の導入で1887年にはかっけをほとんど撲滅します。しかし、陸軍ではその後もかっけは発症し続け、日本全体でも毎年1万人前後がかっけで命を落とすという状態が1940年ごろまで続きます。

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名郷直樹

「CMECジャーナルクラブ」編集長。東大薬学部非常勤講師。東大医学教育国際協力研究センター学外客員研究員、臨床研究適正評価教育機構理事)自治医科大卒。名古屋第二赤十字病院にて研修後、作手村国民健康保険診療所にてへき地診療所医療に携わる。95年同診療所所長。05年東京北社会保険病院臨床研修センター長。「『健康第一』は間違っている」などの著書がある。

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