そこから予備校と人工透析の両立が始まったのですが、インターネットもない当時、1回目に受けるそのときまで僕は人工透析を点滴のようなものだと勘違いしていて、いつか透析をしなくて済むようになるのでは……と思っていたんです。
3歳から腎臓が悪く、体育は見学、塩分控えめの生活をずっとしてきたのですが、当時の僕は病気について無知でした。詳しいことを知りたくなくて、意識的に目を背けてきたのです。
透析が始まるというときに、その病院の売店で透析の本を買ったものの、それも怖くて読めなかった。パラパラとイラストだけを見て、「点滴みたい」と勝手に思ったのです。透析は週3回のペースで一生続くとわかったときはビックリしました。
予備校、大学時代は、透析と授業・生活をやりくりするいいトレーニングになりました。その後、無事に就職し、仕事と透析を両立していた中、30代後半で社会福祉士を目指すことを決意し、退職して専門学校に入りました。
独白 愉快な“病人”たち