人生に勝つ性教育講座

杉田玄白が嘆いた梅毒流行 貧困と感染症に無知な遊女の末路

夜の吉原(C)日刊ゲンダイ

 いずれにせよ、それだけ江戸時代は梅毒という恐ろしい病が流行していたわけで、効き目のある治療法がなかった当時は、患者は治癒を神仏に祈る以外にできることがなく、「笠森が瘡守に通じる」というので、笠森稲荷には多くの瘡毒(そうどく=梅毒)患者が詰めかけたと言われています。

 性感染症の広がりの根底には、生活のために体を売らなければならない「貧困」と、性感染症への「無知」がありました。それは今も変わりません。いまだに日本を経済大国という人がいますが、貧富の差はどんどん広がっていて、いまや日本人の7人に1人が貧困にあり、ひとり親世帯の半分は貧困だと言われています。驚くべきことですが、「貧困はよその国のこと」「自己責任」と目を背けている間に、貧困は日本に広く深く忍び込んでいるのです。

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尾上泰彦

尾上泰彦

性感染症専門医療機関「プライベートケアクリニック東京」院長。日大医学部卒。医学博士。日本性感染症学会(功労会員)、(財)性の健康医学財団(代議員)、厚生労働省エイズ対策研究事業「性感染症患者のHIV感染と行動のモニタリングに関する研究」共同研究者、川崎STI研究会代表世話人などを務め、日本の性感染症予防・治療を牽引している。著書も多く、近著に「性感染症 プライベートゾーンの怖い医学」(角川新書)がある。

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