あるとき看護師さんの前で、私は「介護士や看護師さんは、コーヒーを持っていったり、体をきれいにしたり、やれることはいろいろあるけど、私はAさんに何もしてあげられないな……」とつぶやきました。それを聞いた看護師さんは、ただうなずくだけでした。
Aさんが入所していた介護施設は川のすぐそばにありました。円筒形の白い建物で玄関正面には吉野桜の大木があり3月末になると花が満開になりました。施設の1階玄関からは見上げ、2階フロアからも少し見上げ、3階からはほぼ正面、そして4階からは見下ろす……という違いはありましたが、どの階から見ても視界はすべて桜で埋め尽くされ息ができなくなるほどの見事さでした。
しかし、Aさんの個室の窓からは、隣のビルしか見えません。私は看護師さんに「Aさんが車いすに乗っているときにサッと車いすを押して、玄関前の桜を見に連れていってほしい。嫌がるかもしれないが、わずかだけでも……」とお願いしてみました。
がんと向き合い生きていく