がんと向き合い生きていく

誰ともしゃべらなかった患者さんを満開の桜の木の下に連れていくと…

佐々木常雄氏(C)日刊ゲンダイ

 あるとき看護師さんの前で、私は「介護士や看護師さんは、コーヒーを持っていったり、体をきれいにしたり、やれることはいろいろあるけど、私はAさんに何もしてあげられないな……」とつぶやきました。それを聞いた看護師さんは、ただうなずくだけでした。

 Aさんが入所していた介護施設は川のすぐそばにありました。円筒形の白い建物で玄関正面には吉野桜の大木があり3月末になると花が満開になりました。施設の1階玄関からは見上げ、2階フロアからも少し見上げ、3階からはほぼ正面、そして4階からは見下ろす……という違いはありましたが、どの階から見ても視界はすべて桜で埋め尽くされ息ができなくなるほどの見事さでした。

 しかし、Aさんの個室の窓からは、隣のビルしか見えません。私は看護師さんに「Aさんが車いすに乗っているときにサッと車いすを押して、玄関前の桜を見に連れていってほしい。嫌がるかもしれないが、わずかだけでも……」とお願いしてみました。

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佐々木常雄

佐々木常雄

東京都立駒込病院名誉院長。専門はがん化学療法・腫瘍内科学。1945年、山形県天童市生まれ。弘前大学医学部卒。青森県立中央病院から国立がんセンター(当時)を経て、75年から都立駒込病院化学療法科に勤務。08年から12年まで同院長。がん専門医として、2万人以上に抗がん剤治療を行い、2000人以上の最期をみとってきた。日本癌治療学会名誉会員、日本胃癌学会特別会員、癌と化学療法編集顧問などを務める。

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