独白 愉快な“病人”たち

しゃべることもできず休職して…宮崎宣子さん語る顎関節症

宮崎宣子さん(C)日刊ゲンダイ

 2度目の休職になったことで、絶望の中、実家の宮崎県に帰省しました。体内時計を戻すために、朝は森の中の1時間散歩を日課にして、添加物のない食事でたっぷり英気を養い、2度目の休職も半年かかりました。「もうこれ以上、会社に迷惑はかけられない。会社にいるべき人間ではないな」と思いました。ただ、「辞めるにしてもその前に会社に迷惑かけた分、何か恩返しをしなければ」と考え、復職して雑用でもどんな仕事でも率先して受け持ちました。そんな復職5日後に「3・11」(東日本大震災)が起こったんです。もう体調は問題ありませんでしたが、復職して頑張ろうとするたびに何か起こるので、「これ以上、この会社にいてはいけないサインなのかな」と自分なりに解釈して、復帰して1年働いた後、退職願を提出し、翌年3月に退社しました。

「自分の人生を自分のために使おう」と考え始めたのは、この頃からです。

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