そんな竜馬にも梅毒説があります。きっかけは、明治時代の社会主義者・幸徳秋水が師である中江兆民のことを書いた伝記「兆民先生」の一文にあります。
「兆民先生嘗て坂本君の状を述べて曰く、豪傑は自ら人をして崇拝の念を生ぜしむ。予は当時少年なりしも、彼を見て何となくエラキ人なりと信ぜるが故に、平生人に屈せざる予も、彼が純然たる土佐訛りの方言もて、『中江のニイさん煙草を買ふてオーセ』などと命ぜらるれば、快然として使ひせしこと屢々たりき。彼の眼は細くして其の額は梅毒の為め抜け上り居たりきと」
竜馬と明治の思想家・中江は同じ土佐の出身です。秋水も同じです。中江が藩命で長崎留学中に、当時亀山社中にいた竜馬と会ったときの様子を、郷里の後輩であり愛弟子である秋水に自慢げに話したのでしょう。それを秋水は覚えていて「兆民先生」に書き記したのに違いありません。
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