では、本当に竜馬は梅毒を患っていたのでしょうか?結論を申し上げると私は違うと思います。たしかに、当時の長崎は魑魅魍魎の地でした。朝廷と幕府の間に戦雲が漂い、各藩は軍隊の西洋化を競って銃などの武器や汽船の調達に躍起になっていました。そのため、長崎には英国やフランスなどさまざまな武器商人や外交官などが跋扈し、幕府、朝廷、各藩の役人も入り乱れて情報収集していたのです。ですから、夜ごと丸山遊郭は大変な賑わいだったようです。お金さえあれば女性との遊びは不自由しない港町ですから、当然、性病患者も多かったはずです。外国から「陰門開観」という検査を要求され、遊女の強制検診も行なわれたと言われるほどです。
しかし、兆民が竜馬を梅毒としている根拠が「額は梅毒の為め抜け上り居たり」というだけではお話になりません。以前にもお話しましたが、梅毒第二期になると脱毛症になることがあります。しかし、もともと毛が薄いといわれる竜馬ですが、写真を見る限りは梅毒を感じさせるものではありません。
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