そのくらいの状態で約1年ぶりに自宅に戻り、その直後からTBSラジオに手紙を書く形式で仕事を再開しました。ついさっきの出来事も、ちょっと前に考えていたこともすぐに忘れてしまうので、思いついたことは何でも書き留めるようになりました。左半身はまひで動きませんが、幸いにも右手は健在で書くことができるんです。
だから、意識が戻ってからは早く仕事がしたいと思っていました。ヤル気がない時にふと横を見ると家族がいて、何も言わずに寄り添っていてくれる。それを見ると「頑張らないとな」と思い、家族のために復活したいと決意しました。自分のためだけだったら、もうあきらめていたかもしれません。
■「自分の筆で家族を養いたい」
あれから丸6年です。食事もトイレもお風呂も介助が必要で、ソーシャルワーカーからも身内の医者からも、療養型の病院を勧められたこともありました。自宅を改装しても在宅介護は無理だろうと思われたのです。でも、妻、息子、娘がそれぞれに「パパを家に」と思ってくれていたようで、自宅に帰ることができました。もし療養型の病院に入っていたら今のボクはなかったでしょう。
独白 愉快な“病人”たち