独白 愉快な“病人”たち

全盲ドラマー佐藤尋宣さん 網膜色素変性症との38年を語る

佐藤尋宣さん(C)日刊ゲンダイ

 小学生時代は、たとえばノートの字は4Bの鉛筆で大きく書けば見えていました。5~6年生になるとフェルトペンじゃないと見えなくなりましたが、目の前の人の表情ぐらいはわかりました。

 学校は、高校1年生までずっと普通校でした。しかもボクの親は“転ばぬ先の杖”を持たせないタイプなんです。先生が「尋宣くんへのサポートはどのようなことをすればいいですか?」と尋ねると、「できないことは本人に聞いてください」と言うんですよ。

 だからボクは、「こうしてほしい」と思うことは遠慮せず発言しましたし、体育の授業では「俺が尋宣と一緒に走るよ」とか「尋宣が入った時はこういうルールにしよう」とか、子供同士でいろいろ工夫するとてもいい環境でした。

■大学生で全盲に「もう来たか」と

 理不尽さを感じたのは高校受験の時です。

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