独白 愉快な“病人”たち

全盲ドラマー佐藤尋宣さん 網膜色素変性症との38年を語る

佐藤尋宣さん(C)日刊ゲンダイ

 当時はまだ点字が苦手だったので、墨字(点字に対しての一般的な字の意味)での受験(代読・代筆を要するのでひとり別室で行う)を希望しました。が、「前例がない」とのことで、苦手な点字で受験することになったんです。

 でも、解答欄の位置を聞いても試験官が教えてくれなくて、頭にきたボクはその後の試験の答案をすべて白紙で提出しました。抗議のつもりでしたが後日、中学の先生にも「試験を受けさせてやったのに白紙とは何だ」と叱られてしまい、憤りを感じました。

 結局、墨字入試ができた別の高校に入学し、2年生からは本格的に点字を学ぶため、視覚支援学校に転校しました。

 まったく見えなくなったのは、1浪して大学に受かった後でした。ふと気づいたら友達の表情が見えていなかったんです。いつか見えなくなるとは聞かされていましたが、「もう来たか」と思いました。でも、落ち込んだのは3日ぐらいかな(笑い)。

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