独白 愉快な“病人”たち

引退まで試合では吐き続け…小谷野栄一さん語るパニック障害

小谷野栄一さん(C)日刊ゲンダイ

 たとえば、怖くて電車にさえ乗れていなかったので「今日は駅まで歩けた」「今日は電車に乗って1駅行けた」「今日は電車に乗れなかったけど、2日連続で駅まで行けた」とか“できた”ことを書いていく。そうやって気持ちを前向きにして、少しずつできることを増やしていきました。

 また、その年の秋に行われた「みやざきフェニックス・リーグ」という若手選手の教育リーグに出場できたことも大きかったです。その年、チームは日本シリーズを戦っていたので、フェニックス・リーグの出場選手が足りず、どうしても僕が出なくてはいけなくなってしまったんです。

 打席に立つことさえ恐怖だった僕を、福良さん(淳一・当時二軍監督代行)は「何分かかってもいいから」と見守ってくれて、僕も「今季限りでプロ野球人生は終わりだ。どうせ最後なら、恩返ししよう」と開き直れました。そうしたら、ホームランを何本も打てたり、すごく良い結果が出たんです(笑い)。1カ月間、何とかやりきれたことも自信になりました。

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