医療だけでは幸せになれない

マスク着用に関する「個別」の考えと「一般的」な考え

個人的な判断でマスクをしている…(写真はイメージ)/(C)日刊ゲンダイ

 ここでの「個人的」には、何か「自分勝手」とか「非常識」とか、そんなことがそもそも含まれている感じがする。

 さらに言えば、社会人として、研究者として、「個人的」であってはならない部分を常に気にしているということかもしれない。そうした気持ちが、本来の個人的な考えを抑制し、結果的に一般的なことしか言えなくなっているということではないか、と思うのである。

■本当は着用した方がいいと思ってる?

 考えることですら「個人的」には遠慮がある。そうだとすれば「行動」のレベルでは、さらに「個人的」が困難になる。これは同調というより、抑圧といった方がいいのかもしれない。

 何を考えているかは、言わなければ他人にはわからない。しかし、行動は周囲に見えてしまう。個人的な考えより、個人的な行動にはさらに抑制がかかる。

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名郷直樹

名郷直樹

「武蔵国分寺公園クリニック」名誉院長、自治医大卒。東大薬学部非常勤講師、臨床研究適正評価教育機構理事。著書に「健康第一は間違っている」(筑摩選書)、「いずれくる死にそなえない」(生活の医療社)ほか多数。

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