ここでの「個人的」には、何か「自分勝手」とか「非常識」とか、そんなことがそもそも含まれている感じがする。
さらに言えば、社会人として、研究者として、「個人的」であってはならない部分を常に気にしているということかもしれない。そうした気持ちが、本来の個人的な考えを抑制し、結果的に一般的なことしか言えなくなっているということではないか、と思うのである。
■本当は着用した方がいいと思ってる?
考えることですら「個人的」には遠慮がある。そうだとすれば「行動」のレベルでは、さらに「個人的」が困難になる。これは同調というより、抑圧といった方がいいのかもしれない。
何を考えているかは、言わなければ他人にはわからない。しかし、行動は周囲に見えてしまう。個人的な考えより、個人的な行動にはさらに抑制がかかる。
医療だけでは幸せになれない