と、ここまで書いて、今自分が書いていることも、一般的なことに過ぎないと気づく。同じ言葉で考えれば、同じような考えが出てくる。だからこそ話が通じるわけで、これはじつは日本語の問題に過ぎないのではないか、とそんな考えが浮かんでくる。
英語で「I think」というフレーズに対応する日本語があるかというと、ないような気がする。「私は~と考える」というような語り口は、日常の中ではほとんど聞いたことがない。
そんな中で最近よく耳にするのが「~と思っていて」というフレーズだ。ここの主語は「私」であるが、「私は」は省略され、「思う」という部分が「思っていて」と、「思う」と言い切らずなんだかはぐらかされる。このストレートではない「思っていて」という表現は、日本語における「個人」というものをなんだか象徴している感じがする。
医療だけでは幸せになれない